バルセロナ移住したよ日記

日々、バルセロナでの日常と珍道中を書いていきます

結局のところは自分で何か面白いと思えることを やる以外に救いはない

バルセロナに来て大きな変化があるかと想っていたけれど、

やはり場所が変わっただけで、

特別に何か心境に変化があったわけではなかった。

 

日本とスペインで離れて暮らしていた

妻や息子と幸いにも今こうして一緒に過ごせていることは

何ものにも変えられない幸せだと思う。

 

ただ、そうした家族の幸せと、個人の生き甲斐は別ものである。

 

私、個人としての生き甲斐はビジネス=仕事になる。

仕事が生き甲斐なんて言うと、やや古い価値観ぽく聞こえるし、

とても日本人的であるなとも思う。

 

これまで東京で長いこと、広告やプロモーション、

映像製作会社で粛々と?勤め人をしていた頃と、

今、こうしてバルセロナで全く違う畑で勤め人をしている

自分はどちらも心境はあまり変わらない。

職種、待遇の違いはあまり関係ない。

 

しかし、一貫して言えるのは自分で創造して、

何かゼロから成し遂げている感覚や躍動感は勤め人をしている限り、どんな職種だろうと感じることはほとんどないだろう。

 

総じて、私は勤め人に向かないと20代の頃から気づいていた。

 

なので、結局のところは自分で何か面白いと思えることを

やる以外に救いはないし、生きている実感を感じない。

ただただ、淡々と生き永らえる日々を選ぶしかなくなる。

それは、日本にいてもスペインにいても同じなのだ。

ハワイだろうと、ブラジルだろうと、NYだろうと、イビザにいようと逃れられない。多少、金銭的に余裕が出てもダメなんだ。

 

一度、狂った世界を覗いたことのある人たち、

そこへ足をつこっ込んでしまった人たちはそのゲームからは逃れられない。

自分で新しいゲームを作っていくことが宿命づけられているように感じる。

私はまだそのスタートさえしていないのだ。

 

 

40代を目前にして、考え方や価値観も違うカルチャーの中で漂いながらも尚、結局はその禅問答を繰り返す自分と繰り返す日々なのだ。

そして、何よりいつか必ず自分も死ぬ。

母は早く亡くなったから尚更それを思う。

だから自分の生を全うしなくてはいけない。

どうせ死ぬんだ、ゲームを楽しもう。

 

では、どんなゲームなら自分は楽しいのか??

 

いま、シンパシーを勝手に感じいるのは、

きゃりーぱみゅぱみゅ、増田セバスチャン、アソビ一派。

彼らのアプローチはとても素晴らしい。

だからファンも付いてくるだよな。

 

今、日本を離れてよく聞く話でもあるが、

とても日本人である自分と、

自分の中の日本人的な感覚を意識するようになった。

 

 

私が歓喜と、生きる実感を得られるゲームはなんだろう。

始めてみたらわかるだろう。

 

どうせやるなら、ド派手に、大胆にやりたい

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