バルセロナ移住したよ日記

日々、バルセロナでの日常と珍道中を書いていきます

1992年の母

今から26年前。俺は当時、11歳。
母は37歳。ちょうど今年の俺と同じ歳。
 
母は親父と離婚をした。
俺たちを鳥取の山村留学へ行かして、両親同士は離婚問題の話し合いに入っていた。
揉めている離婚を子供に見せないための母の精一杯の配慮と愛情でもあった。
 
それでひと段落した頃だろう、母は当時のチャネラー仲間とメキシコやグアテマラを周る
スピリチュアルツアーへ出た。
 
それが1992年の秋だ。
 
母が亡くなって、もう3年と3ヶ月。まだ3年と3ヶ月。
 
母が遺した遺品の大半を引っ越しの際に捨てた。
ただ、いくつか思い出深いものや、どうしても手放せないものだけ絞って手元に置いた。
 
そうした遺品の中に、ビデオテープがあった。
結構残したビデオテープはどれもラベルが貼っていなかったが、
唯一、92年のユカタンツアーの記録動画らしき4本にだけ、ラベルが貼ってあった。
きっと、誰かから購入したか、譲ってもらったのだろう。
 
母が映っている確証はなかったが引っ越す際、
ビデオテープはその4本と、無記載のビデオテープ2本、
花見山の恐らく親父が撮影しただろう、MINI VHSだけ残してあとを捨てた。
 
そのラベル付きのVHS4本を見るために、
ビデオデッキが置いてあるネットカフェや店を探した結果、
渋谷のTSUTAYAで貸し出しているのを知り、
タイミングよく返却されてすぐに借りることができた。(最初、ややクレーマーだったが。。)
 
そんなんで、26年前の母親の姿をヒッピーツアー一行の中に探した。
 
最初は瞑想のシーンばかりでほとんど参加者は映らず、
アメリカ人であろうチャネラーの講師(グル)が中心だった。
 
それが後半で参加者の様子が映され始めると、いくつかのシーンに母が映っていた。
当時の勝気でカメラの前でおどける調子のいい母の姿だ。(笑
 
母は最後、亡くなる前は身体が弱っていたから、
まだ30代で勢いのあった当時の母の姿はとても懐かしく、
また、 鮮明に記憶が蘇ってきた。
 
 
映像を見て感じたことは、人生は一度きりってことだ。
 
当時37歳の母と、来週37歳の俺。
 
母からのメッセージは、映像でやってきた。
 

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