バルセロナ移住したよ日記

日々、バルセロナでの日常と珍道中を書いていきます

息子

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かいが産まれてきてくれて一ヶ月が経った。

かいの顔は毎日変わるし、気分もコロコロ変わるから、最近は寝つきがあまりよくない。

今日は寝つきがが良くない彼にほぼ一日付き合ってなーんも自分のことができなかった。


いつも自分は仕事のことや会社のこと、将来のことに縛られて週末を送る。


今の職場にいれない葛藤や、早く次の仕事を探さなくてはという焦りや、今後のスペインへ引っ越す目処や夫婦の将来とか、とにかくいつもいつも先のことに頭がいってしまって、肝心の今を大事に過ごすことができない性分だ。


ただ、今日はそんな寝つきが悪い息子に付き合わざる得ない状況でほぼ一日中彼と過ごした。


結論を言えば、彼と過ごす時間はとても貴重だ。


本当に学びがある気がする。

それは、何かといえば誰も産まれてからこれまで沢山の人に愛されて来なかった人はいないって当たり前のことだ。


今日、腕の中で眠る息子を眺めて改めてそう思った。

私もこうして母親に愛されていたんだなってことや、私の祖父母、曾祖父母、親戚、沢山の人のおかげで生きてるってことだ。


私もこうして、いや息子以上に手が掛かった赤ん坊だったはずだ。


2014年の年末に亡くなった母は、

私をとても愛してくれた人だった。

私が赤ん坊の時はそれはそれは渾身の愛を注いでくれて神経質すぎるくらいだったようだ。

その姿勢は生前、母が生きていた最期の最期まで私や弟へ変わらなかった。

母にとっては私と弟がすべてだったからだ。


私は息子を眺めていつも亡くなったそんな母を想う。


それは、息子を1番最初に見せてあげたかったのは誰よりも母だったし、

母は晩年、口癖みたいに何かあると「あんたの子供(孫)の顔見るまでは死ねないわっ!」なんていつも強がって言ってた。


だから今、こうして息子が産まれて愛せる存在がいることは私にはとても尊い体験だ。


私もこうして母に(まぁたまに親父にも)愛されていたんだと感謝することができるからだ。


かい(息子)がこれからどんな人生を歩むかわからない。まして自分の人生がどんな展開になるか分からないのに尚更だ。

ただ、息子が健康で元気で満足できる毎日を送ってくれたらそれだけでいい。

彼のことを誰よりも愛している母であるタチアナや私はずっと、自分たちの両親のように彼を愛せるはずだ。 


写真の中で嬉しそうに私(幼児期)を抱く母と同じように嬉しそうにしている妻を見ると私も嬉しい。

そして、母に息子を見守ってほしいと願う。


これまで自分の人生は自分1人で完結すると思っていたのに、妻や子供が登場したことでだいぶシナリオが差し代わったストーリーになってきた。


話が脱線したが、

自分の子供を見て、自分の親を想う気持ちというのは実は結構、みんなあるのではないか?と思った今日でした。


来年にはバルセロナで息子と妻と楽しく賑やかに過ごしたい☆