バルセロナ移住したよ日記

日々、バルセロナでの日常と珍道中を書いていきます

2016年12月31日 大晦日

今年も終わる。

この記事を日吉のファーストキッチンから書いている。


今年、俺は何をしたんだろうか。

何ができたんだろうか。

そして、これから向かう未来。


昨年の12月のスペイン旅行で、妻のタチアナとバルセロナで出会って、今年の4月から日本に移住してもらって、早や9ヶ月。


その間に、入籍、VISA取得、妊娠と急展開だった。自分も前職のプロモーション会社の退職から再就職と慌ただしかった。


今年はタチアナという女性が私の人生の中に新たな登場人物として、妻として現れた貴重な年だった。


これから、来年3月に息子が生まれる。

また、これはこれで新たなキャストが登場する訳だ。


人生は拡張していく。

どんどん拡がっていく。


わたしは、バルセロナの丘の上から日々、ワインを飲みながら愛する人とバルセロナの海を眺めながらアートと広告、食に関わる仕事をして楽しく賑やかに暮らしている。


世界中に刺激的な仲間たちがいて、世界中を飛び回ってクリエイティブな仕事をしている。毎日、沢山の刺激的な人と出会いながら私の人生は変化し続け拡張していく。


まず、バルセロナで楽しいことをやること。


私は、極度の飽き性だから同じことをやり続けられない。


だから常に新しい人に会わなくちゃいけない。

そう、私は同じことができない。


そして、楽しいことだけやりたい。


今から自分を楽しませること。

毎日、新しい出会いを求めること。

1日、一人出会った人のことをブログに書くこと。


これまでの自分を捨てること。


新しい未来へ、バルセロナ



フィエスタデエスパーニャ2016

2016年11月26日(土曜日)

去年、行ったような行ってないようなうる憶えだったわけだけど行ったわけよ。

今年も、フィエスタデエスパーニャ2016

www.spainfes.com

 

で、、タチアナ連れて午前中の両親教室から向かったんだけど、すごい人なわけだ。
わんさか飯の屋台に行列作ってるわけさ。
こんなに大勢の人が集まっているのが不思議でしょうがなかった。

なんで、こんな休日に!

しかも、こんなに代々木公園ごときに!

 

こいつら行くあてのないくそ暇な奴らなんだろうなぁ、終わってるなぁ....
とその風景の既に一部になってしまっている自分はさておき、考えた。

 

まぁ、スペインってコンテンツが他のアジアンフェスよりは、
まだ目新しいし、昨今のスペイン料理ブームもあって、
食い物も旨いだろうと、愚民は期待してきたんだろうなぁ。。。


それで、スペイン繋がりの知り合いグループにも合流できて、
立ち話して、そのあとはタチアナの友達、ペネロペにも会う。

 

おでの、海王拳100倍にがんばった笑顔がこれ↓

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このスペイン人の兄ちゃんは会場の運営スタッフ兼歌い手。

なんか夕方に歌ってた。

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まぁ、ネオひきこもりな体質だから、こうした会場に来ると

(特に代々木公園はもう飽きてるのもあって)かなり身体に堪えるわけだ。

 

それで・・・

 

しばらくして、3人でステージでの催しフラメンコ観賞。

 

<総括>

今日は両親教室でイズムってスペイン人パパに会えたけど、

東京、、スペイン人はまだまだ少ないな。

ブラジルはそこそこいるんだろうけど、
南米の人もまだまだ少ないからな。

まだ世界から見たら日本は遠い鎖国した技術国家なんだろうな。

あれから10年。そしてこれから

バルセロナを初めて旅した写真を久々に見た。

初めて行ったのが、2006年だからかれこれ10年経ったんだな。

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最初に行って初めて会ったバルセロナの女性 ソフィ・・今はお母さん

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さっ、バルセロナへ向けてエンジン掛けていきましょうよ、俺!

 

Coti - Nada Fue Un Error

www.youtube.com

お母さん

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今週、4月1日から新しい会社勤務が始まった。
久々の社会復帰は、思った以上に心身に堪えた…。 
当たり前に、新入社員じゃないしねぇ (苦笑)
まぁ、でも何をやっていても働いている方が健康的に過ごせる気がする。


それまでは、(今もだけど)お母さんのことをずーっと考えている時間が多かったし、福島への四十九日後の挨拶回りや、
荷物の整理、気晴らしの沖縄旅行、なんやかんやで喪に伏してた。

あとは、みーの体調のことがあったりで、仕事も含めて、これから自分はどうしていけばいいかずっと分からなくなって、迷いの中を彷徨っていたと思う。

自分は、やっぱり事前準備をするより動き出した方がうまく回りだすのは、昔から変わらないんだなぁ。
精神的にも動いた方がいい。

昨日は、久々に弟と二人で夜中まで呑んで、お母さんと3人で国立の大学通りを満開に咲く夜桜を花見出来て良かった。

本当は、3人で美味いものでも食べて、温泉行って、ゆっくりしたりしたかったね。
ハワイにも行きたかったね。

お母さんが天国へ行ってから、
外で家族(お母さんと子供)を観る目が変わったよ。
どんなお母さんも子供も愛おしいよ。
そんな母子の光景を見る度に、

「あぁ、俺もこんなふうにお母さんに愛されて育ててもらったんだなぁ」って思うことが多いよ。

いつもいつも俺と弟を心配して、
30過ぎた俺たちを、ずーっと変わらず愛してくれて、
どんなに生意気な口きいても、
どんなに邪険に扱っても、
ずーっと変わらず愛してくれた。


ずーっとずーっとずーっと、
女で一つで借金までして何不自由なく俺たちを育ててくれた母。

逝ってしまうまで、何一つ知らなかった俺たち。

バブルだった80年代。
当時、貧乏だったうちは家族で団地に住んでいた。
そんなうちにも郵便ポストには、宝石や指輪のチラシがよく入れられてた。
母は親父から結婚指輪を貰ってなかったから、当時、5歳とか6歳の俺はそうした宝石のチラシをハサミで切り抜いて、
「お母さん、指輪あげる」とか言って、
よく母にプレゼントしていた。
母はそんなチラシの切り抜きを大事にしてくれて、喜んでくれた。

だからね、俺はお母さんに素敵な指輪をプレゼントするのがずっと夢だった。

素敵なジュエリーの広告を観るとね、
いつかお母さんにプレゼントしてあげようって考えてたんだ。

沢山苦労させてしまって、ごめんね。
お金持ちになるからね。

お母さん、産んでくれてありがとう
お母さん、沢山愛してくれてありがう
お母さん、美味しいご飯をありがとう
お母さん、いつも見守ってくれてありがとう
お母さん、早く生まれ変わってまた会いに来てね。

それまでゆっくり天国を満喫してね!

ずっと、言えなかったありがとう。

そして、愛してるよ!!!




友人と呑み

家を片付けている途中から、高校時代の友人から飲みの誘い。

片付けは終わってなかったが、

一日中部屋にいたからこの際にと

夜から川崎まで出る。


下世話な話をして飲んで、

久しぶりにあった友人と別れる。

帰り際に母が亡くなったことも告げる。


これから自分を愛すること、信じることが大事なことは分かっている。


やりたいことをやる!

このシンプルなことをらやるには、

自分を愛すること、信じること。